後藤健生の「蹴球放浪記」連載第51回「入口の融通の利く係員にカムサハムニダ」の巻の画像
ソウル・オリンピック決勝戦の入場券 提供:後藤健生
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若き日には国立競技場のスタンドで日の丸を振っていたベテラン・ジャーナリストは、さまざまな経験が豊富である。ソウル・オリンピックではどうしても資料が必要になって、ADカードを持たないのに、プレスセンターへの入室を試みた――。

■オリンピック史上最高レベルのサッカー競技

 これまでのオリンピックのサッカー競技の歴史の中で最もレベルの高い戦いが見られたのは、間違いなく1988年のソウル・オリンピックでした。

 ご承知のように、昔のオリンピックはアマチュア選手だけの大会でした。

 1964年の東京オリンピックの時、日本と同じ組にイタリアも入っていたんですが、イタリア代表にサンドロ・マッツォーラとかジャンニ・リヴェラという名前の若い選手が含まれていて、「あれは、ほんまはプロちゃうんか?」ということになって、結局イタリアは棄権してしまいました(そのおかげで、日本はアルゼンチンに1勝しただけで、準々決勝進出が決まったわけです)。

 しかし、1980年代に入ると国際オリンピック委員会(IOC)はプロ選手の参加を解禁しました。それどころか、その後は各競技団体にトッププロの参加を要請し始めたのです。オリンピックの人気を高めるため=IOCの収入を増やすためです。

 その結果、バスケットボールにはNBA選抜の「ドリームチーム」が出場するようになります。一方で、ベースボールはMLBがメジャーの選手の参加を拒否しています。

 で、サッカーの場合も、IOCはすべてのプロの参加を求めます。しかし、ワールドカップの権威を守りたいFIFAはそれに反対。結局1992年のバルセロナ大会からオリンピックはプロも含む23歳以下の選手による大会となり、1996年のアトランタ大会からはさらにオーバーエイジ3人の参加も認められました。

 その“端境期”に当たったのがソウル大会でした。

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