■「母が亡くなったと聞いたときは……」
——少し話が変わりますが、あの予選の時期、11月12日に、あなたのお母さんが亡くなりましたね。あなたは、すべてを日本に置いて、ブラジルに帰ろう、とは思いませんでしたか?
「母が亡くなったという知らせを受けた時は、遠征先のホテルにいたんだ。朝6時か、6時半。壊滅的なニュースだった。足が宙に浮いているようだった。
僕の妻が電話をくれた後、どうかなりそうなほど泣いた。部屋に一人でいて、泣いて、泣いて、たくさん泣いた後、シャワーを浴びて、僕の兄弟達に電話したんだ。兄弟が多くて、7人いるんだけど、何人かとは話せた。それで、どうすべきか、彼らに助言を求めた。
すると、妻も含めて、その全員が言ったんだ。
“お母さんはもう亡くなってしまったんだ。お前が帰ってきても、生き返るわけじゃないんだよ。埋葬まで24時間は待てるけど、お前が帰ってくるには、40時間かかる。ここに着く時には、彼女はすでに埋葬された後だ。兄弟一人一人を抱きしめることはできるけど、お母さんに会うことはできない。お母さんを抱きしめることはできないんだ”
そして、その一方で考えていたんだ。あの大事な時に、決定的な試合から僕が離れたら、何が起こり得るだろうと。何らか危機的な問題が起こるかもしれない。チームメイト達の集中を乱すこともそうだ。僕は、日本代表の妨げになるのが怖かった。
それで、僕は岡田サンの部屋に行った。朝7時、7時半だったけど、彼はもう事情を知っていた。で、彼の部屋に入った時、彼が言ってくれたことを、すごく幸せに思った。
“呂比須、もし君が望むなら、我々は君のために航空券を準備する。東京を経由して、ブラジルに帰るといい。我々がすべて準備するから。君はどうしたい?”
僕はあの時、人生でも最も難しい決断をしたんだ。母の埋葬のために帰らないなんて、本当に胸が詰まった。でも、岡田サンの言葉に感謝と幸せを感じて、彼に言ったんだ。
“岡田サン、もしあなたが僕を起用するつもりなら、たとえそれが30秒であっても、僕は日本代表が98年W杯に出場するのを手助けするために、人生のすべてを注ぐつもりです。僕はブラジルには帰らない。妨げになりたくない。ジャマ、シタクナイ”それが、僕の言葉だった」