■「当時も今も、まったく同じ誕生日のヤマにはすごく親しみを感じている」

「僕が当時も今も、すごく親しみを感じているのが、山口(素弘)だ。ヤマは僕と同じ年で、誕生日も同じなんだ。1969年1月29日。僕は彼にいつでも“シェガード”って言っていたんだ。
ポルトガル語で“(※日本語で)すごく仲良い人”の意味でね。彼のプレーの仕方が好きだった。すごく的確なパスを出すし、試合でのミスが本当に少なかった。

 それから、僕はサイドバックの選手達と特別な関係があった。名良橋にしても、相馬にしても。自分が彼ら次第、というのが分かっていたからね。中田や名波次第でもあった。ボールを出してくれるから。特に、ペナルティエリアでクロスを受ける時にね。ヘディングは僕の長所だったから。

 そんなわけで、彼ら全員に大きな愛情と親しみを持っている。それに、技術委員会のみんなにも、サポートスタッフにもそうだ。彼らのために、毎日祈っている。

 実際、神のご加護を感じるんだ。あの歴史の一端を担えたことに、そして、日本代表でプレーできたことに。

 いつか、日本に戻れることを願っている。日本でまた仕事が出来ること。あそこに戻って住めること。僕の日本との歴史は、まだ終わっていないんだからね」

 

※その4に続く

PHOTO GALLERY 表情豊かな呂比須
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