ようやく春が訪れて、サッカーシーズンが本格的に幕を開けようとしている。国際サッカー評議会(IFAB)は昨年末、脳震盪についての新ルール案を発表した。ヘディングが重要なプレーであるサッカーにおいて、脳震盪はけっして珍しいスポーツ外傷ではない。頭を強く打って倒れこんだプレーヤーが、すぐにプレーに復帰しようと、タッチラインからレフェリーに合図している姿は、日常的に見かける光景だ。すべてのサッカー好きの諸氏に、本稿をお読みいただき、ぜひ認識を新たにする機会にしていただきたい。
■サッカーよりも生命が大切である
「サッカーは生か死かの問題だと言う人がいる。それは間違いだ。サッカーはそれよりずっと重要だ」
リバプールFCを弱小チームから強豪にのし上げた名将ビル・シャンクリー(1913〜1981)の言葉である。サッカーに生き、サッカーに人生を捧げ尽くした人物の魂がこもった言葉だ。しかし彼が実際に「生命よりもサッカーが重要」と考えていたわけではない。第二次世界大戦でプレーヤーとして最も充実すべき時期を失ったシャンクリーは、サッカーだけに集中できる平和な時代のありがたみを誰よりもよく知っていた。だから若い選手たちに、余事に惑わされることなくサッカーに打ち込むよう叱咤激励したのが、この言葉なのだ。
そう、もちろん、サッカーは生命を賭して行うようなものではない。サッカーで命を落とすことなど、断じてあってはならない。だが、伝統的に、サッカーでは(サッカーに限らないが)、生命の危険が軽んじられてきた。脳震盪の問題である。
私のサッカー仲間には、「何の試合をしているのかわからなかったけど、とにかく最後までやったよ」と、半ば自慢げに話す者が何人もいる。試合中にヘディングの競り合いで相手と頭同士が当たり、フラフラとなったが、少したつと平気になったので、その後もプレーを続けた。しかし試合の記憶がまったくないというのである。
明らかな脳震盪の兆候なのだが、本人がプレーを続けたいというのでそのままピッチに戻してしまうということが、日本のサッカーでは、ごく日常的に行われてきた。大人のサッカーだけではない。子どものサッカーでも、そうしたことが平気で行われてきた。だがそこに生命を脅かす大きな危険があることが、近年、大きくクローズアップされている。