■新宿の書店の片隅で

 私がこの写真に魅せられたのは、1970年秋、たぶん9月にはいってすぐのころだった。新宿の紀伊国屋書店の「洋雑誌」コーナーで1冊の雑誌を見つけたのだ。ワールドカップ特集号だった。決勝戦は6月21日だったので、おそらくそれから間もなく英国で発売された雑誌だったはずだ。それが日本に送られ、新宿の書店に置かれていたのだ。最後の1冊で、多くの人が手に取ったあとだったのだろう、かなり「よれて」いた。だがそんなことは問題ではなかった。

『サッカー・マガジン』増刊号で大会の模様は隅々まで知っていた。しかしそれ以外に情報などまったくない時代だった。「ダイヤモンド・サッカー」のワールドカップ放映が始まるのは、3週間も先のことだ。私は、その雑誌が光り輝く宝物のように見えた。

『THE GREAT WORLD CUP 1970』と題された、大判で表紙を入れて48ページの雑誌。大半がワールドカップのレポートだったが、その夏のスポーツのビッグゲームが網羅され、欧州チャンピオンズカップ(スコットランドのセルティックが優勝)、FAカップ(チェルシーが優勝)、ラグビー、ボクシング、馬術、ゴルフなども掲載されていた。定価は41ペンス。当時はまだ英国の通貨は十進法になっておらず、1ポンド(当時のレートで約900円)が20シリング、1シリングが12ペンスだったから、日本円にすると150円ほどだっただろうか。

 雑誌を手に取ってページをめくっていると、何よりも写真の美しさに魅せられた。メキシコでのワールドカップは、初めてカラーで全世界に生中継された大会であり、欧州の視聴者に合わせるために多くの試合のキックオフが正午(欧州では午後7時あるいは8時)に設定されていた。メキシコの明るい陽光の下で撮影されたカラー写真は、それだけでうっとりとさせるものだった。

 そしてページをめくるなかで目を引いたのが、センターページに横向きに入れられていたペレとムーアの写真だった。他のページの写真には写真外にキャプションがあるだけだったが、この写真には大きな文字でタイトルが乗せられていた。「THE WAY IT SHOULD BE(あるべき姿)」。試合後のペレとムーア。そこには勝者も敗者もなく、互いへの「リスペクト」が満ちあふれていた。本当に、スポーツの「あるべき姿」を見た思いがした。

「あのう……」

 声をかけられたのはそのときだった。顔を上げると、私より年上に見える、20代と思しき清楚な服装の女性が目の前に立っていた。念のために書いておくと、1970年9月の私は大学1年生、19歳になったばかりだった。咄嗟に言葉が出なかった。

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