■負傷から戻ってきたファティのすごみ

 その天才少年アンス・ファティにも、苦しむ時期があったという。だが、それも力に変えてしまうのが、天才たる所以なのだろうか。 
 
「アンス選手は14歳から15歳にかけて、プレーしていないんですよ。足首を骨折したのでほぼ1年間練習もできなかったのですが、試合に戻ってきた時には何段階もギアが上がったような選手になっていました。ゴールに飢えて、グラウンドの中に猛獣がいるようでした。エネルギッシュさがケタ違いで、圧倒的に目立っていました」 
 
 そんなバルセロナの下部組織、高名なるラ・マシア(以下、マシア)の選手、また家族や関係者との交流は続き、神蔵氏はその内部の様子を知るようになった。 
 
「よく覚えているのは、2004年生まれの世代の選手たちですね。2016年のワールドチャレンジの決勝で大宮アルディージャに勝って優勝したのですが、負けて悔し涙を流す大宮の選手たちに手を差し伸べて称える映像がYouTubeにアップされたんです。その再生回数がぐんぐん伸びて、その様子がローレウス世界スポーツ賞に選出されました。選手としても能力が高い子が多くかつ、素直で人間的に魅力ある選手たちでした」 
 
 その年代とは、バルセロナに戻ってからもマシアで挨拶をする間柄になり、関係は今も続いているという。中でも、特に目を引く選手がいた。 
 
「パブロ・ガビという選手がいるんですが、この子はアンス・ファティ選手に続く存在としてトップに上がってくるんじゃないかと言われています。ポジションはインサイドハーフで、チアゴ・アルカンタラのような選手です。テクニシャンで点を取りゲームメイクができます」 
 
 その天才少年は、単なる温室育ちではないそうだ。 
 
「11歳でセビージャから移籍してきた選手ですが、関係者が言うには、セビージャの中でも経済的に厳しいエリアの出身で、クラブから品物を送っても、彼らの家に着く前になくなってしまうのだとか。彼自身の才能は傑出しており、サッカーをするために生まれてきたような子だと評価されています。16歳の現在はバルサの高校生年代のU-18のチームでプレーし、来年はトップに上がる可能性も高そうです」 
 
 そうした厳しい環境、あるいは世界中から才能が集まるマシアだが、その内情はさらに”鍛え抜かれる”場であるようだ。

<その2「知られざるマシアの内情」へ続く>

かみくら・ゆうた 東京都出身。大学卒業後、スペインにてスポーツ経営学を修める。卒業後、留学コーディネーターの現地駐在員としてバルセロナにて8年勤務。その後、アンドレス・イニエスタの日本への移籍に伴いヴィッセル神戸の通訳として業務を開始。翌年に神戸に加入したダビド・ビジャの通訳も務め、天皇杯獲得を置き土産としたビジャの引退と同時に神戸を離れる。現在はビジャが展開するDV7プロジェクトの日本支部マネージャー。

 

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