第100回天皇杯が開幕!(3)「特別な年」の「特別な大会」の画像
第99回天皇杯を制したヴィッセル神戸(2020年1月1日) 写真:長田洋平/アフロスポーツ
 ※その2はこちらより

日本サッカー協会が設立されて、来年で百周年となる。現在開催されている大会が記念すべき第100回となる天皇杯は、Jクラブ以外の参加チームが上位で活躍する可能性が大いに高くなっている。Honda FCを筆頭とするJFL勢や大学の強豪たちにはビッグチャンスの到来だ。では100年前、天皇杯はどのように始まったのか。日本サッカーに何が起こったのか。その歴史をひもとき、今年の見どころと優勝の行方をうらなう。

■ついにサッカー協会を設立し全日本選手権を開催

 FAが銀杯を寄贈したのは実は英国外務省の要請によるもので、当時、在日英国大使館の書記官補だったウィリアム・ヘーグの発案だった。

 ヘーグは英国大使館チームのメンバーで、1918年には大使館チームのほか東京蹴球団、東京高師、中華留日学生団など7チームが参加する英国大使館杯争奪リーグを組織して日本のサッカー関係者とも親交を深めていた。そこで、ヘーグは日本にも協会が設立されるようにFAからの銀杯の寄贈を思いついたのだろう。

 在日英国大使館および英国外務省がヘーグの意見を取り入れてFAに対して銀杯寄贈を要請したのは、当時英国が日本との友好関係を重視していたからでもある。

 英国は1902年に日本と軍事同盟条約を締結していた。北方から中国に対して権益を拡大しようとするロシアの進出に対抗するためのものだった。そして、第1次世界大戦が終結すると、戦後の新たな国際秩序を築き上げるために英国は対日関係を重視。1921年には日本の皇太子(後の昭和天皇)が英国を訪れ、翌22年には英国のエドワード皇太子(後の国王エドワード8世)が来日。両国の皇太子は一緒にゴルフをプレーしている。

 日本にはまだサッカー協会が設立されていなかったので、大日本体育協会会長の嘉納が英国大使から銀杯を受け取り、嘉納は東京高師の内野台嶺に協会設立を急ぐように指示。ようやく1921年9月に大日本蹴球協会が発足し、11月には第1回の全日本選手権「ア式蹴球全国優勝競技会」が東京の日比谷公園内の運動場で開催されることとなったのだ。優勝した東京蹴球団にはエリオット駐日英国大使の手でFAから寄贈の銀杯が授与された。

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