■どこの国にもあった栄枯盛衰の理

 一つのクラブが、これだけ長きにわたって“国を代表する唯一のクラブ”としての地位を保ち続けるのは珍しいことだ。

 もちろん、レアル・マドリードやFCバルセロナは、それ以上の長きにわたってスペインを代表する強豪だった。しかし、彼らは“唯一の”存在ではない。常に2つのクラブが併存・競争していた。

 今シーズンのチャンピオンズリーグで2つのクラブをベスト4に送り込んだフランスでは“国を代表するクラブ”は時代に伴って次々と変わってきた。今シーズンのファイナリスト、PSGの創設はバイエルンがダブル・チャンピオンを達成した翌1970年のことでしかない。1970年代にはサンテチエンヌがフランスを代表するクラブとしてヨーロッパの舞台で戦っていたし、その後、マルセイユやモナコやリヨンなどがフランスの代表としてチャンピオンズリーグで活躍してきた。

 1970年代のイングランドといえば、まだフットボール・リーグ(FL)の時代だが、ビル・シャンクリー監督が作り上げたリヴァプールの時代だった。その後プレミアリーグが発足。ロシアの資本が入ったチェルシーが台頭したり、アレックス・ファーガソンのマンチェスター・ユナイテッドが君臨した時代があり、最近では長く低迷していたマンチェスター・シティが中東の資本を受け入れて一時代を築き、そしてリヴァプールが再びイングランドを代表するクラブとしての地位を取り戻した。

 かつて、東ヨーロッパの社会主義国には秘密警察や軍の息のかかったクラブがあり、その政治的な権力を行使してレフェリーに圧力をかけたり、ライバルチームのエースを引き抜いたりして圧倒的な強さを誇る時代もあった。ウクライナのディナモ・キエフや白ロシア(ベラルーシ)のディナモ・ミンスク(「ディナモ」という名称を持つのは秘密警察のチームだ)は事実上のナショナルチームとして、全ソ連リーグでロシアのビッグクラブに対抗していた。

 だが、東欧で社会主義政権が崩壊すると、こうしたクラブはその独占的な地位を失ってしまった。

 そうした各国の例を考えると、ドイツのような民主主義体制の大国において、たった一つのクラブが半世紀にわたって“国を代表するクラブ”の地位を保ち続けてきたというのは驚くべきことと言わざるを得ない。

 国家や独裁者の支援があるわけでもなく、アラブの王族の支援を受けて、カネにあかせた補強をするわけでもなく、健全経営を続けながら、その経営努力によってその地位を保ち続けたのがFCバイエルン・ミュンヘンなのである。

※後編につづく

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