■「ほとんどの場面に内田がいた」

 日本代表としても、08年の北京五輪代表から10年の南アフリカW杯、14年ブラジルW杯のメンバーに選出。特にブラジルW杯では「ほとんどの場面に内田がいた」と評されるほどの活躍ぶりで、海外からも高い評価を得ている。

 シャルケには7年にわたって所属したが、後期はケガに泣かされ、2015年に右ヒザの手術を受けた。その後は約2年試合から遠ざかったが、それでも17年にドイツ2部のウニオン・ベルリンへの移籍することになると、チームは退団セレモニーを挙行。これは、内田が所属していた時期には、ラウール・ゴンザレスとクラウス=ヤン・フンテラールだけが行っていたもので、いかにチームとファンから内田が愛されていたかを証明するエピソードだろう。

 18年には古巣の鹿島アントラーズに復帰。その際には、特別な先輩である小笠原満男からの誘いが“最後の一押し”になったことを明かしている。

 小笠原や曽ヶ端準ら鹿島の先達を追い「太く長い」現役生活を目指す、とかつて語っていた内田。32歳での引退は早い、というファンの声が聞こえてきそうだが、心から拍手を送りたい。

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