「監督は、魔法の杖を持っていない」。采配だけでチームは変わらない、という意味のサッカーの格言である。ところが、2020年Jリーグでは、指揮官による選手交代とシステム変更がドラマティックな効果を生み、ゲームの面白さをきわだたせている。コロナ禍から取り入れられた5人交代制には、サッカーというスポーツに戦術的広がりをもたらす効果があるのかもしれない……。
■過去には、首を骨折したまま勝利に貢献したGKもいた
フットボールはもともと選手交代を認めないスポーツだった。
1863年にフットボール・アソシエーション(FA=イングランド協会)が結成されて最初に制定された統一ルールにも選手交代については何も記されていなかった。選手が負傷などの理由で試合続行が不可能となっても交代は認められなかったから、1人少ないままで試合を続けなければならなかったのだ。
しかし、負傷によってプレーできる選手が少なくなってしまった場合(とくにそれが相手チームのファウルによる負傷だった場合)、そのまま試合を続けるのはフェアではないという意見が広まったため、1953年には交代が認められるようになる。ただし、実際に交代を認めるか否かはリーグや大会によって異なっていた。そして、最初は交代が認められるのはGKの場合だけだった。
確かに、GKというのは特殊なポジションで、他の選手が代役を務めるのが難しい。そのため、負傷してもそのまま無理してプレーを続行するケースも多かった。たとえば、スペインの伝説的GKリカルド・サモラは1929年のイングランド戦で胸骨を骨折したままプレーを続行して4対3の勝利に貢献した(マドリードで行われたこの試合は両国の初対戦であり、イングランド代表が英国4協会以外のチームに初めて敗れた試合だった)。また、マンチェスター・シティのバーンハード・トラウトマンは1956年のFAカップ決勝のバーミンガム・シティ戦で負傷し、首が曲がったままプレーを続行して勝利に貢献したが、後の検査で首を骨折していたことが判明した。
こうして最初はGKに限って認められるようになった選手交代だったが、その後フィールドプレーヤーの交代も認められるようになっていく。ただし、こちらも認められるのは負傷の場合だけだった。しかし、審判がその場で負傷の程度を判断することは難しく、本人が「続行不可能」と言えば交代を認めざるを得なかった。そこで、1967年には負傷によるものでなくても2人までの交代が認められるようになったのだ。
ただし、これ以前から選手交代を認めるか否かについては大会毎のレギュレーションによって定められていた。
たとえば、第二次世界大戦前に日本が中国やフィリピン相手に戦った極東選手権大会でも、戦後のアジア大会でも選手交代は認められていた。
しかし、1950年代以降選手交代がみとめられるようになってからも、最も権威ある大会であるワールドカップでは長く選手交代は認められないままであり、アジアの大会でもワールドカップやオリンピックの予選では選手交代は認められなかった。
1960年11月6日にソウルで行われた韓国対日本のワールドカップ予選では、前半のうちに韓国のFW文正植(ムン・ジョンシク)が空中戦の競り合いから落ちた時に鎖骨を骨折して救急車で病院に運ばれたが選手交代は認められなかった。そのため、その後は1人少ないままだったものの、韓国は日本に対して2対1で勝利している。アジアカップ2連覇を達成したばかりの韓国の戦力はそれほど充実していたのだ。