■リモートマッチには声援と熱量の相乗効果がない
サッカーだけしかない試合は、こんなにも無機質だったのか。リモートマッチと呼ばれる無観客試合を初めて体験した私は、サッカーを生で観られることへの感謝とともに、どこか満たされない思いを抱いた。
J1が再開された7月4日、私は湘南ベルマーレ対ベガルタ仙台の取材へ向かった。
キックオフの1時間半ほど前に、スタジアム最寄りのJR平塚駅に着く。いつもならレプリカユニフォームを着たファン・サポーターに囲まれるはずだが、この日はサッカーを連想させる色がなかった。スタジアムへの直通バスも運行されておらず、徒歩で向かう道のりも閑散としている。心に穴が開いたようだ。自分にとってのサッカーの取材はスタジアムのなかだけではないのだ、と改めて気づかされた。
スタジアムに着くと、ホームチームの運営関係者が元気良く迎えてくれた。検温をして、受付をして、2週間前からの体温を記入した問診票を提出して、手の消毒をして、そのまま記者席へ向かう。記者用の控え室は、密を防ぐために用意されていない。
記者席は間引きされていた。ペン記者は1試合25人までとなっているからで、知り合いとも、チーム関係者とも、目でそっと挨拶をするだけに止める。記者席が話し声で満たされることはなかった。
ピッチからはたくさんの声が届いた。ベンチからの指示や選手同士のコーチングの声が聞こえるのは、リモートマッチならでは楽しみかたかもしれない。
僕自身は歓声のないスタジアムに、物足りなさを覚えた。スピーカーを使って歓声をスタジアムに流しても、ライブ感や一体感は作り出せない。観衆の声援が選手を後押しし、選手の奮闘がまた観衆の熱を高める双方向の盛り上がりこそが、私が求めるプロサッカーである。
最寄り駅の彩り、スタジアム周りのキッチンカーの匂い、観衆の息遣い、そして選手たちが発する熱──それらすべてが揃ったサッカーが、私は好きなのだ。