そして、第2次世界大戦後、英国やフランスなどが植民地を手放した後も、アントニオ・サラザール首相率いるポルトガルの独裁政権は植民地支配を続けるために軍を派遣して現地の独立運動を弾圧した。だが、植民地経営は行き詰まり、軍事的負担ばかりが増えてしまってポルトガルの経済はさらに悪化して、ポルトガルはヨーロッパの最貧国の一つになってしまった。

 サラザールとその後継者マノエル・カエターノの独裁体制は、1974年に植民地での活動で負担を強いられていた国軍兵士の反乱という形で終止符を打たれた。「カーネーション革命」と呼ばれる平和的なクーデターだった。そして、ポルトガルは1986年にECに加盟して近代化が始まっていた。

 サッカーの世界でもポルトガルはけっして強豪とは言えなかった。

 1966年のイングランド・ワールドカップではポルトガルは3位に入っている。そして、1960年代初めにベンフィカ・リスボンはヨーロッパ・チャンピオンズカップで2度の優勝を遂げている。

 当時のポルトガル・サッカーを支えていたのは、あのエウゼビオや主将のマリオ・コルナをはじめとするアフリカ植民地出身の選手達だった。当時、ヨーロッパでは黒人選手はきわめて珍しい存在だったから、対戦相手にとってアフリカ系黒人選手特有の身体能力は大きな脅威になっていたのである。

 その後のポルトガル・サッカーは低迷が続いていた。しかし、1986年のメキシコ・ワールドカップに出場したポルトガル代表は結果的にはグループリーグ敗退に終わってしまったが、面白い存在だった。そして、1990年代に入るとルイス・フィーゴやルイ・コスタの「黄金世代」が現われて、彼らは各国のビッグクラブで活躍するようになっていた。技巧的な面白いサッカーをする国だった。

(後編へつづく)

 

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