■モウリーニョの野心

 僕がインタビューした時、モウリーニョ監督は「代表監督の仕事には興味ないが、いずれはヨーロッパの強豪クラブの監督になりたい」と語っていたが、彼の“野心”はたちまちのうちに現実のものとなっていった。

 ところで、この取材旅行で僕が印象的だったのは、彼らがドイツやフランスなど西欧諸国のことを語るときに「ヨーロッパでは」という表現を使っていたことだ。ポルトガルはすでに1986年にEC(欧州共同体、現在のEU=欧州連合)に加盟していたのだから、立派なヨーロッパの一員なのだが、彼ら自身は西欧先進国に対して劣等感のようなものを抱いていたのだ。

 1970年代から80年代にかけて、日本の多くの若者たちがバックパッカーとしてヨーロッパ中を旅していたものだ。彼らは旅行の資金が乏しくなると物価の安いスペインに移動し、さらに懐具合が逼迫するとポルトガルに渡ったものだ。それでもやっていけなくなれば、アフリカに渡るしかない……。

 アフリカは、スペインやポルトガルからはすぐそこだ。実際、15世紀の大航海時代が始まるはるか以前から、ポルトガル人はアフリカ大陸の西岸を赤道付近まで南下して交易を行っていた(その過程で、大西洋上に浮かぶクリスティアーノ・ロナウドの故郷であるマデイラ島もポルトガル領となった)。

 大航海時代の繁栄を経て、西欧諸国がアフリカ大陸を植民地化していった19世紀までにはポルトガルの国力はすっかり衰えてしまっていたが、ポルトガルはアンゴラやモザンビークをはじめ、アフリカにいくつかの植民地を経営することになった(ポルトガルは、それは植民地ではなく、本国と同等の「海外領土」なのだと主張していたが)。

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