ノルウェー代表に、新たなジェネレーションの波が到来している。
1998年のフランス・ワールドカップで、ノルウェーはベスト16に進出。トーレ・アンドロ・フロー、オーレ・グンナー・スールシャールを中心としたチームが快挙を達成した。それは1938年以降、最高の成績だった。
だがユーロ2000を最後に、ノルウェーは国際主要大会から遠ざかることになる。
そのノルウェーに、現在、欧州中の注目を集める2選手がいる。マルティン・ウーデゴールとエルリング・ハーランドだ。
■神童と呼ばれて
神童ーー。彼は、そう、呼ばれていた。
レアル・マドリーがウーデゴール獲得に動いたのは、彼が16歳の時だった。2015年1月30日付けのスペイン紙『マルカ』では、次のような見出しが表紙を飾った。
「ニーニョ・プロディヒオ」(神童)
期待が、重圧が、青年の肩に重くのしかかろうとしていた。
結論から言えば、ウーデゴールは一度周囲の期待を裏切ったことになる。
もちろん、彼が全力を尽くしていたことに疑いの余地はない。だが、明らかに時期尚早だった。マドリーというメガクラブに所属するだけで生じるプレッシャー、マドリディスタの厳しい視線、メディアの注目...。そのすべてが、ウーデゴールにとってマイナスに働いた。
マドリー・カスティージャ(Bチーム)で練習を行い、トップチームで試合に出るという取り決めでマドリーに加入したウーデゴールだが、それは反故にされる。気付けば「Bチームの一人の選手」になっており、その存在は忘れ去られようとしていた。
心機一転、ウーデゴールは国外挑戦に打って出た。ヘーレーンフェーン、フィテッセとオランダの2クラブを渡り歩き、実戦経験を積んだ。そして、そのプロセスがウーデゴールに進化を促す。
今季開幕前、レアル・ソシエダからのオファーでリーガエスパニョーラ復帰が実現した。契約条件は、またもレンタル。「貸し出し」のラベルが貼られ続ける選手になってしまったが、そんな事実に彼は構わなかった。開幕から4試合に出場して1得点1アシスト。初月のリーガ月間MVPに輝いた。
ソシエダはリーガ中断期間時点で4位に位置。コパ・デル・レイでは準々決勝でマドリーを撃破して、決勝まで勝ち進んでいる。その中心には、ウーデゴールがいた。
準備は、整っていた。