だが、オリンピックの延期によって、チーム作りの手順は大きく変わることとなった。
まだ、日程は確定していないが、9月開始の予定だった最終予選は年末あるいは2021年春頃にはスタートするはずだ。したがって、2021年の春まではオリンピック代表候補の選手たちも実力のある選手はA代表で活動することになる。
これまでも、堂安律(PSVアイントホーフェン)、富安健洋(ボローニャ)、久保建英(マジョルカ)などが日本代表(A代表)で起用されてきたが、これからはさらに多くの選手がA代表に招集されることになるだろう。
つまり、当初の予定ではオリンピック本大会で力を付けた選手をA代表に組み込むはずだったのが、大会の延期によって逆にワールドカップ予選によって経験値を上げた選手たちを中心にオリンピック代表が構成されることになったのだ。
もし、2021年春の段階でA代表で活躍する24歳以下の選手が5~6人いたとすれば、それにオーバーエイジの選手3人を加えた8~9人(つまり、チームのほぼ半数)がオリンピック代表の中軸を形成することになる。
昨年11月に行われて完敗を喫した当時のU-22日本代表のコロンビア戦では、それまでオリンピック代表の中軸としてプレーしてきた選手たちと、新たに加わった堂安や久保との間の意思疎通が不十分だったためにチームがバラバラになってしまったという。だが、もし2021年7月の段階でオリンピック代表メンバーの約半数がA代表でプレーしているとすれば、“融合”の難しさはかなり減らすことができる。
2000年のシドニー・オリンピックの時がそうだった。
2002年の日韓ワールドカップを目指す日本代表を率いていたフィリップ・トルシエ監督は若手主体のチーム作りを進めていた。そのため、オリンピック世代(1973年以降生まれ)の中田英寿や宮本恒靖、中村俊輔などはすでにA代表の主力として活躍しており、オーバーエイジで参加した楢崎正剛、森岡隆三、三浦淳宏とも一緒にプレーしていたのだから、“融合”の問題はなかった。なにしろ、シドニー大会ではオーバーエイジも含めてオリンピック・チームの全員がA代表経験者だったのである。
A代表候補の「ラージグループ」の中から、若手主体のメンバーがシドニー・オリンピックに参加して準々決勝に進出。その直後に開かれたアジアカップ(レバノン大会)には、名波浩をはじめとした、より年齢の高い選手を中心にメンバーを組んで出場し、圧勝したのだ。
東京オリンピックでも、大会の1年延期が決まったことによって、シドニー大会の時に似たようなチーム構成にすることが可能になったのである。
もっとも、シドニー・オリンピックの時と大きく違っているのは、今ではオリンピック世代でも海外でプレーする選手が増えていることだ(シドニー・オリンピックの当時、海外組は中田英寿ただ一人だった)。
(※後編につづく)