村井 就任以来、いいことがあまりなくて・・・。ブラジルワールドカップも負けましたし、JリーグもACLで今のところ結果が出ていない。逆に万事が上手く行っていたら、検証せずに進んでいたのかもしれません。

木之本 それと最近は大型のスタジアム、サッカーにふさわしいスタジアムが色々な所でできたり、計画が伝わってきます。そのあたりも行政とクラブとJリーグの成果の一つじゃないですか。

村井 選手がどんなに頑張ってもスタジアムを造るのはなかなか難しい。そういう意味ではリーグやクラブの経営スタッフ、行政との三位一体が大事です。昨年は51クラブを全て回りましたが、スタジアムの件は行政に直接話をしたりお願いをしたりしました。実感としては20年以上Jリーグが続いてきたおかげで、サッカー専用のスタジアムで試合を見たい、屋根のあるスタジアムで応援したいなどいろいろな期待値が社会全体で高まってきています。3月に改築の終わった南長野のスタジアムも、4面屋根付きですからね。大阪の吹田市にできるガンバ大阪のホームとなる新スタジアムも楽しみですし、京都も亀岡に新スタジアムを建設予定です。広島も署名活動が40万人を超え、長崎でも10万人を超えたと聞きましたし、北九州の小倉では来年、新幹線が停まる駅の500メートルのところに新スタジアムが完成します。地方再生や地域活性化といった時に、街なかにスタジアムがあって、そこに人が行き来して、ショッピングモールやホテル、映画館などを併設して、隔週で若者が集まって来る。サッカーだけの話にとどまらず、街づくりや地域再生や地方都市の国際化と言った様々な要素があり、「スポーツ・ツーリズム」という言葉があるように外国人も来る。さらに屋根つきの防災拠点としてのスタジアムは、上下水道や電気を完備し、トイレも十分な数があります。そういう意味では様々な目的を実現するために見直されつつある気がします。本当にありがたいことです。

※第3回に続く

(この記事は2015年5月9日に発行された『サッカー批評74』(双葉社)に掲載されたものです)

木之本興三
1949年1月8日、千葉県千葉市生まれ。県立千葉高から東京教育大学を経て古河電工に入社。大学時代は主将を務め、インカレなどで優勝して将来を嘱望されたが、26歳の時にグッドパスチャー症候群を発症し腎臓を摘出。引退後はJSL事務長、総務主事を務め、日本サッカーのプロ化に尽力した。1993年のJリーグ発足後は理事や関連会社の社長を兼務。2002年の日韓W杯では日本代表の団長を務めたが、大会後にバージャー病を発症し、両足を膝の上から切断する大手術を受けた。2003年にJリーグを退職後は㈱エス・シー・エス代表取締役、アブレイズ千葉SC代表を務めるなどサッカー界に貢献。2017年1月15日永眠。(※2020年4月追記)
村井 満
1959年8月2日、埼玉県川越市生まれ。県立浦和高時代はGKとして活躍し、早稲田大学を卒業後は日本リクルートセンター(現リクルート)に入社。2000年に人事担当の執行役員に就任。2004年に本社執行役員兼務でリクルートエイブリック(後のリクルートエージェント)代表取締役社長に就任し、2011年まで社長を務めた。2008年にJリーグ理事に選任。2014年1月31日に第5代Jリーグチェアマンに就任した。J1リーグの2ステージ+チャンピオンシップ制導入やJ1とJ2クラブの財政健全化を推し進めつつ、自らも積極的な営業から新規スポンサーを獲得してJリーグの経営立て直しと、多忙な日々を送っている。
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