■もはや「建築ショー」
屋根は、長さ200メートルもの鉄製の主要構造物を4本乗せて組み上げたものをピッチの縦方向に3本、横方向に4本の「副構造物」で強化し、そこに半透明の樹脂の屋根を張ったもので、開口部はちょうどピッチの大きさとなり、「FIFA基準」の「4分の3(75%)」を上回る「100%」の観客席カバー率を達成した。
1本200トンにもなった主要構造物は巨大なクレーンでつり上げられて設置されたが、そのスペクタクルな「ショー」に4000人もの観客が集まり、テレビ生中継で何百万人もの人が見たという。
1987年にはイタリア政府からミラノ市に対しスタジアム改修費として480億リラ(当時のレートで約3700万ドル)が補助されたが、この改修にかかった総額はその倍以上に及んだ。
3階席は西・南・北スタンドに設置されたが、「タワー」を建てることができなかった東側にはつくられなかった。そこには、巨大スクリーンが吊るし下げられた。大改修は1990年春に完成、イタリアカップの決勝第2戦、ACミラン対ユベントス戦が最初の試合となった。残念ながらACミランはアウェーの第1戦と同じ0-1のスコアで敗れ、8万3928人のファンを落胆させた。
迎えた1990年ワールドカップ・イタリア大会では、準々決勝のチェコスロバキア対西ドイツ戦まで6試合の舞台となった。ラウンド16の西ドイツ対オランダは、ワールドカップの歴史でも屈指の好試合と言われた。
こうして8万人規模の観客席を持つことになった「ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム」は、文字どおり「世界サッカーの首都」となった。














