サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、1990年代の「世界サッカーの首都の顔」について。
■ミラノが稼ぎ、ローマが使う
だが、当然、この大会の主要な会場のひとつとなるべき「ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム」には大きな悩みがあった。基本的に1955年に大改修されたときのままの施設は老朽化し、欧州の主要クラブ大会の決勝戦会場に選ばれることもなくなっていた(「サンシーロ」時代の1965年と1970年には欧州チャンピオンズカップの決勝の舞台となった)。
そしてACミランのサポーターたちは、欧州各国の「フーリガン」の刺激を受けて時に暴走し、社会問題化していた。フーリガン対策には、何よりもスタジアムの近代化が必要だった。大改修から30年、「ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム」は否応なく「生まれ変わる」ことを強いられていたのである。
当然、「イタリアサッカーの首都」を自認していたミラノは、決勝戦誘致を目指していた。しかしイタリア政府は早くからローマの「オリンピコ・スタジアム」を大改修して決勝戦の舞台とすることを決めていた。首都ローマこそ、決勝戦にふさわしい…。「オリンピコ」は1960年のローマ・オリンピックの主会場として1957年に開場した陸上競技場型のスタジアムで、収容は7万人だった。
「ミラノが稼ぎ、ローマが使う」
ミラノの人々はよくそう言う。イタリアの経済の中心であるミラノが富を生み出し、政治首都であるローマ(中央政府)がそれを消費・浪費するというのである。ワールドカップのために、ローマでは国費を投じて「オリンピコ」の大改修が行われ、「ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム」の改修のための資金はミラノ市が負担しなければならないという状況を、ミラノの人々はどう思っただろうか。















