■最弱国にまさかの敗戦

 さて、1958年当時、日本のサッカー界は最悪の時期でした。

 第二次世界大戦前は1936年のベルリン・オリンピックで強豪スウェーデンに逆転勝ちするなど強化が進んでおり、戦争が終わってからもその当時の選手が代表として頑張っていましたが、そうしたベテラン勢が引退すると代表は弱体化していったのです。戦争中に、若手選手の育成が止まってしまっていたのです。

 アジア大会ではベルリン・オリンピック当時の点取り屋、川本泰三が監督となり、ボール・ポゼッションを重視したサッカーに挑んでいたのですが、ボールは持てても得点が取れなくなってしまい、とうとう地元開催の大会で「アジア最弱」と言われていたフィリピンにも0対1で敗れ、続いてすでにプロ化されていた香港にも敗れて0勝2敗で敗退となってしまいました。

 日本がフィリピンに敗れた試合ではラジオの実況中継で解説をしていた人が途中で怒って帰ってしまったという逸話も伝わっています。

 そのフィリピン戦が行われたのは東京蹴球場。東京都文京区の小石川に新設されたサッカー専用スタジアムでした。6000人の観客が入るスタンドがあったそうです。設計したのは東京大学の高山英華教授。学生時代は東京帝国大学蹴球部に所属し、日本代表に選出されたこともある名選手でした。

 ただ、新設のスタジアムだったので、芝生がまだちゃんと根付いておらず、「麦畑」と揶揄されたそうです。

 代表チームの実力も、スタジアムの状態も、日本のサッカーはまだまだそんな状態だったというわけです。

つづく

(2)へ続く
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