■プロレスと野球の陰で…「蚊帳の外」だったマイナー競技・サッカー

 街頭テレビの人気に火をつけたのは、プロ野球とプロレスだった。日本テレビのプロ野球放送はもちろん巨人中心で、川上哲治がスーパースターとして君臨していた。プロレスでは、アメリカへの武者修行から帰国した力道山が「日本プロレスリング協会」を設立、日本中の男性を熱狂させた。

 当時、テレビ受像機を買うには、大卒初任給の2年分の給料が必要だったという。簡単には普及しない。それでも街頭テレビで「たくさんの人が見ている」ことによりスポンサーがつき、日本テレビは事業を継続させることができた。NHKでは、大相撲中継が人気を博した。

 ただもちろん、こうした「熱狂」のなかにサッカーはなかった。NHKはスポーツの生中継こそテレビを普及の大きな力になると考え、さまざまな競技を積極的に放映した。そしてサッカーの初放送は、NHKで長年スポーツ中継に取り組まれた杉山茂さんの著書『テレビスポーツ50年』(2003年、角川書店)によると、1953年11月14日に東京の明治神宮外苑競技場(旧国立競技場の前身)で行われた関東大学サッカーリーグの中央大学×早稲田大学だった。

 当時の日本サッカーの「現役」は大学生だった。企業はまだスポーツ部に力を入れる力はなく、大学を卒業すると「OB」扱いだった。その結果、関東と関西の大学(関西は学生)リーグが日本の「トップリーグ」に当たっていたのである。それだけではない。中央大学には、当時の日本サッカーの若手最大の期待株だったFW長沼健(後に日本サッカー協会会長)がいた。

 この年の8月、日本のサッカーは戦後初めて欧州にチームを送り、西ドイツのドルトムントで開催された「国際学生スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)」に参加した。その「欧州帰り」の選手たちが、長沼の他にも、中央大学にはDF三村恪一、早稲田大学にはDF山路修、MF小田島三之助と、ずらりと並んでいたのが、この試合だったのだ。

 だが伝統の大相撲、日本テレビの猛烈なプロモーションで超人気番組となったプロレスやプロ野球の中継と比較すると、日本のサッカーは「マイナー競技」のひとつであり、頻繁に中継が行われたわけではなかった。

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