サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、戦後の街頭テレビ時代から振り返る「テレビと日本サッカー」の歴史だ。プロレスや野球の熱狂の陰で“蚊帳の外”だったサッカーが、1964年東京五輪での「奇跡の37分間」を機に国民的スポーツへと駆け上がるまでの知られざる原点に迫る。【第1回/全4回】
■街頭テレビの熱狂! 終戦8年後に産声を上げたテレビ放送
日本でテレビ放送が始まったのは1953年の2月1日午後2時のことである。
昭和28年、終戦から8年目。サンフランシスコ講和条約によって日本が「独立」を取り戻してからわずか2年後。しかし4年間続いた朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)の間に日本経済は急速に成長し、食料難などで苦しんだ戦後の混乱期がようやく落ち着いたころだった。
この日、東京・芝のNHKから電波が送られ、日本のテレビ放送が始まった。4月12日には、初めてのスポーツ中継が行われる。神宮球場で行われた東京六大学野球の明治大学×東京大学の試合だった。以後、5月には大相撲の中継、6月には水泳、9月には体操のテレビ中継が行われ、スポーツはテレビ放送の重要なコンテンツとなっていく。同じ1953年の8月には、日本テレビが民放として初放送を始め、プロ野球などスポーツ中継に力を入れていく。
ただ、当時、テレビ受像機は、日本全体でわずか2600台という普及度だったという。視聴者が少なければスポンサーはつかない。そして民放の日本テレビはスポンサーを獲得しなくては事業が成り立たない。
そこで日本テレビは放送開始を前に首都圏を中心に「街頭テレビ」を設置したのである。人々が集まりやすい駅前広場のようなところに高さ3~5メートルほどの「塔」を設置し、その上にテレビ受像機を置くのである。当時のテレビは14インチである。今はどの家庭にも40インチ、50インチという大きさのテレビがあるだろうが、当時はこの小さな画面に何十人も何百人もが群がり、驚くべき人気になったのだ。























