日本サッカー界が迎える秋春制への完全移行。それに先駆けて行われた特別シーズン「百年構想リーグ」は、約半世紀ぶりとなる「西高東低」の勢力図をまざまざと見せつける結果に終わった。連載最終回となる今回は、守備偏重に陥る東のクラブと、ダイナミックに躍動する西のクラブの対比から、かつての「日本サッカー冬の時代」との酷似性を指摘。サッカージャーナリスト・後藤健生が、Jリーグの歴史の“大きなうねり”を読み解く。
■冬の時代に酷似してきた「東日本勢」
西日本では、各クラブがサッカー専用の近代的なスタジアムをそろえ、ドイツ系の指導者の下でスピードあるアグレッシブなサッカーを展開しているケースが多い。
それに対して、東日本には陸上競技トラック付きの旧式のスタジアムが多く、日本人指導者が保守的なサッカーに終始している。
ちょっと極端に言えば、東西の違いはこのように描くことができる。
守備をベースに、負けないサッカーで戦う東の地域リーグを見ていて思い出したのは、今から半世紀ほど前、1970年代の日本サッカーリーグ(JSL)だった。
当時は、企業チーム(実業団)の時代。選手も指導者も企業の構成員でサッカーの能力とは別の基準で会社から給与を支給されていた時代だ。「JSLのサッカー」という枠内で、同じようなサッカーが展開されており、試合の魅力は減り、観客動員力も減っていったのは当然の結果だった。
いわゆる「日本サッカー冬の時代」だ。
その後、1980年代に入るとプロ化を志向する読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)や日産自動車(横浜FMの前身)が登場して、より攻撃的で魅力的なサッカーを展開。さらに選手の技術レベルが向上したこともあって、日本のサッカーも上向きとなり、1990年代のプロ化=Jリーグ発足につながったのだ。
今年の百年構想リーグの東地区のリーグ戦を見ていて、僕はその1970年代のJSLを思い出してしまったのだ。



































