蹴球放浪家・後藤健生は、今回のワールドカップでもサッカー日本代表とともに北中米の地を歩き回る。半世紀以上にわたり日本サッカーを見つめ続けてきた彼だが、その原点は中学生時代の日常に潜んでいた。グラウンドの片隅でボールを蹴る少年の前にふらりと現れた、“謎のスーツの男”。かつて日本代表として戦った人物の粋な振る舞いが、1人の少年を「蹴球放浪家」へといざなったのだ。
■東ヨーロッパ勢が「メダル」独占
ご承知のように(?)、僕がサッカーを好きになったきっかけは1964年の東京オリンピックでした。当時、東京の新宿区内の公立小学校に通っていた僕は、学年単位でオリンピックの見学に連れて行かれたのです。
開会式の翌日、1964年10月11日。向かった先は国立競技場。サッカーのグループリーグ初日のハンガリー対モロッコ戦。これが、僕が生まれて初めて生で観戦したサッカーの試合でした。
当時のオリンピックにはプロ選手はいっさい出場できず、西ヨーロッパや南米のチームは純粋なアマチュア選手やプロ契約前の若手選手を集めたチームでした。一方、東ヨーロッパの社会主義国にはプロ制度がなかったので、選手は形式的には学生や労働者、軍人でした。だから、ワールドカップでは西側のプロ選手と争うような選手が出場していたのです。
その結果、サッカーのメダルは東ヨーロッパ勢が独占していました。そして実際、東京オリンピックでもハンガリーが優勝することになります。
僕が見に行った試合でもハンガリーのベネ・フェレンツ(ハンガリー人なので「ベネ」がファミリーネーム)が1人で6ゴールを決めて6対0でハンガリーが勝利。ベネは2年後のワールドカップ・イングランド大会でも活躍するワールドクラスの選手でした。



















