■日本との意外な関係
「ワールドカップ」の名を広めたのは、前述したジュール・リメの回想録の監修にも当たった牛木素吉郎さん(当時読売新聞)である。1966年に創刊された『サッカー・マガジン』の創刊号(表紙は杉山隆一=三菱=の日本サッカーリーグデビュー戦だった)に、「ワールド・カップ予想」という記事を寄稿している。
「サッカーの世界選手権は、『ワールド・カップ』と呼んだほうが通りがいい」と牛木さんは紹介し、この大会がオリンピックの人気をしのぎ、いかに世界の関心を引きつける大会かを詳述している。以後、「ワールド・カップ」が定着し、間もなく「・」が省略されて「ワールドカップ」と表記されることになる。
そして、ようやく正式名称が確固たるものになる日が来る。日韓共同開催の2002年大会を前に、FIFAは大会の正式名称を英語で「FIFA World Cup」とした。世界的な登録商標として登録するためだった。以後の大会では、どこの国での開催でもこの英語名を使用している。
「ワールドカップ」の名称は、1965年にバレーボールで使われたのを皮切りに、1970年代からさまざまな競技で使用されるようになった。すべてサッカーのワールドカップの人気と隆盛にインスパイアされたものであるのは言うまでもない。「本家本物」、「元祖ワールドカップ」は、もちろんサッカーなのである。世界で単に「ワールドカップ」と言えば、サッカーのものにほかならない。
あまりに多くの「ワールドカップ」が乱立するなか、商標登録するに当たって、「本家」が「FIFAワールドカップ」と自らの名を入れなければならなくなったことに、当時ワールドカップをビッグビジネス化させた「ジョゼフ・ブラッター政権下」にあったFIFAの役員たちは、忸怩たる思いだったに違いない。




























