後藤健生の「蹴球放浪記」第305回「サッカー観戦のために山に登る」の巻(2)今も健在の香港の名門チーム「南華」はクラブ選手権で読売クラブや磐田とも対戦の画像
香港政府大球場で行われたスペイン・ワールドカップ予選の入場券。結果は北朝鮮1-0日本。提供/後藤健生

 今でこそ、日本はアジアのサッカーをリードする存在だ。だが、かつては香港がアジアの強豪の地位を占めていた。蹴球放浪家・後藤健生は、サッカー界の少林寺の異名を取る強豪チームの本拠地にも足を運んだ。

■ニックネームは少林寺

 サッカーの香港リーグでも、初期の頃はイギリス人チームが常に優勝を飾っていましたが、1920年代後半からは「南華」足球隊が覇権を握るようになっていきます。

「南華」は1904年に創設された香港サッカー界の名門。現在はバスケットボールやバレーボールをはじめ各種スポーツや文化活動を行う「南華体育会」という総合スポーツクラブになっています。

 1917年に東京で行われた極東選手権に参加した、当時の日本で最強の東京高等師範学校サッカー部は初戦で中国と対戦して0対5で敗れました。これが、日本で最初の国際試合だったのですが、このとき、日本が対戦したのは中国を代表して参加した香港の南華体育会の足球隊でした(当時は、選抜チームではなく、各国の予選を勝ち抜いた単独チームが参加していた)。

「南華」は20世紀末までは香港最強の地位を保っており、アジアクラブ選手権やアジア・カップウィナーズ選手権で読売サッカークラブ(現、東京ヴェルディ)やジュビロ磐田などと対戦したこともあります。現在は、なかなか優勝には手が届かないようですが、やはり香港リーグの1部に所属して戦っています。

 とにかく、「南華」は20世紀前半にはアジア最強クラブのひとつでした。

 そして、その「南華」足球隊に入ることを「入山」と表現したのです。少林寺に武術の修行に行くのと同じような感覚でした。実際、「少林寺」は「南華」のニックネームでもあったのです。

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