■世界に誇る記録

 しかし落合にとって、そうした「出場」の仕方は本意ではなかった。前年までの260試合は、他のすべてを犠牲にしてサッカーのためにできうる限りの努力をし、チームに必要とされ、自分で勝ち取ってきたものだった。「こんな形で出たら、その260試合が台無しになる」―。そう感じた。

 そう感じても、一選手が監督に反抗する形はつくりたくなかった。西が丘サッカー場のロッカールームは、三菱のベンチから走っていけばわずか数十秒、ゴール裏の観客席の下、コーナーのすぐ後ろにある階段を5段ほど下ったところにあった。落合はすぐにベンチを出てロッカールームに戻り、ゆっくりとユニフォームに着替えた。着替えている最中に、ピッチから佐野敏一主審が吹く試合終了の長い笛が聞こえてきた。味方選手を祝福するためにピッチに戻ると、横山監督は何も言わなかった。

 このシーズンの出場は5試合、翌1983年は2試合。1984年には、1973年からつけ続けていた「背番号5」を「23」に変えたが、試合出場はならなかった。落合のJSL出場記録は267試合で終わり、1971年から1988年までプレーした古河電工のFW永井良和の最多記録272試合にわずかに及ばなかった。

 繰り返すが、世界のリーグの最長連続試合出場記録は調べることはできなかった。だがデビューから260試合連続出場(16シーズン全試合出場)という落合の記録は、ひとつの国のトップリーグとして「とてつもない世界記録」なのではないか―。

 落合弘は、「三菱サッカー部」の後身である「浦和レッズ」の社会貢献・競技普及、そして子どもたちの「心」を育てるための「ハートフルクラブ」の「キャプテン」として、80歳を目前にしたいまも元気いっぱいに活動している。髪の毛は真っ白になったけれど、175センチ、65キロの体型は今もまったく変わっていない。

  1. 1
  2. 2
  3. 3