大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第183回「浦和レッズ主将が打ち立てた“世界記録”」(3)16シーズン続いた「全試合出場」、伝説の終焉と「ベンチの美学」、今も続く情熱の画像
浦和レッズには今も、世界に誇るべき鉄人が「キャプテン」として在籍している。撮影/中地拓也

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「長く太く」。

■偉大な記録のスタート

 デビューの1966年から2シーズン、「全試合フル出場」を続けた落合の記録は、1968年12月15日に広島での東洋工業戦で途切れる。後半30分過ぎに足首を捻挫、八田嘉明との交代を余儀なくされたのだ。しかしその翌週、12月22日に北九州で行われたシーズン最終戦の八幡製鉄戦では先発フル出場を果たし、2-2の引き分けに貢献している。1981年10月までの「フルタイム出場連続211試合」は、ここから始まるのである。

 1946年2月28日、埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。浦和市立高校で国体優勝、全国高校選手権にも3年連続出場、準優勝も経験して、ユース代表にも3年連続して選ばれる。1964年、高校を卒業した落合は、実業団の強豪・東芝に入社する。しかし1965年に日本サッカーリーグ(JSL)がスタートしたものの東芝は参加せず、1966年に三菱自動車販売に籍を移してJSLの「三菱重工サッカー部」の一員となるのである。

 1966年に「山田(旧姓)弘」としてJSLに登録されたときは身長175センチ、体重66キロ。1984年、最終登録年は175センチ、65キロ。19シーズン、まったく体型は変わらなかった。細身の選手だったが、コンディションづくり、試合のための準備は真剣そのものだった。酒豪が多かった時代に酒は飲まず、睡眠時間をしっかり取るために「つきあいが悪い」と言われても意に介さなかった。

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