■Jリーガーに負けないプロ精神

 JSLはプロリーグではなく、三菱も全員が三菱重工や三菱自動車の社員で構成されるチームで、「アマチュア」だった。しかし落合は、社業をこなしつつ、現代のJリーグの選手に負けない「プロフェッショナル」としての生活を送り続けたのである。それこそ、「16シーズン連続全試合、260試合出場」という大記録の秘密だった。

 最初は「インサイドFW」として得点センスを買われていたが、その後MFとなり、20代後半を迎えるころには守備ラインに入り、ストッパーもリベロもサイドバックもこなした。持ち前のサッカーセンスがどのポジションでも生きたが、監督が必要とする役割を期待以上のプレーでこなした。

 彼の「JSL連続出場記録」が途切れたのは、1982年の開幕戦、4月4日に東京・西が丘サッカー場で行われた日本鋼管戦だった。この日、横山謙三監督(彼もまた落合、杉山とともに1966年の開幕戦でJSLにデビューした選手だった)は落合をベンチに置き、20歳の川添孝一をピッチに送り込んだ。帝京高校出身の生きのいいアタッカーだった。川添は前半23分に先制点を決め、横山監督の期待に応えた。

 2-0のリードで試合終盤を迎えたとき、コーチの大仁邦彌(落合より「学齢」は1年上だが、三菱サッカー部では4年後輩だった)が落合に「準備しろ」と伝えた。残り時間は5分だった。デビューから前年まで16シーズン続いてきた「全試合出場」、「260試合連続出場」の記録に対する横山監督からの配慮だと、落合は思ったという。

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