■日本代表でも活躍
JSLは1972年まで8チーム編成で、1チームがプレーするシーズンの試合数はわずか14だった。1972年に2部が誕生し、1973年には1部が10チーム編成となってシーズン18試合となったが、20クラブ編成でシーズン38試合を消化する現在のJリーグと比較すると年間の試合数は極端に少ない。日本代表強化のための日程が長かったためだ。
1シーズンの試合数が少なかったから「フルタイム出場」を続けることができたのだろうか。いや、試合数が少なかったからこそ、逆にコンディションを保つのが難しかったのではないか。
ユース代表(現在のU-20日本代表)のエースで、20歳で迎えた1966年に日本代表に選ばれたこともあったが、「代表Aマッチ」初出場は1974年、28歳と遅かった。だがその後は1980年まで日本代表でも中心的なメンバーであり、キャプテンも務めた。すなわち、落合のJSL時代の後半は、三菱と日本代表との兼務で、休むことなく1年中活躍していたことになる。それでも、1981年まで休むことなくJSLの試合を続けていたのである。
つづく









