大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第182回「歴代人口最少のW杯出場国キュラソー」(2) クライファートなどルーツがあるオランダ人は多数、代表選手が日本でもプレーしたの画像
かつて浦和レッズなどでプレーしたクエンテン・マルティノスも、オランダ生まれのキュラソー代表だった。撮影/原壮史

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「歴代人口最少のワールドカップ出場国」について。

■五輪にも1試合だけ出場

 キュラソーのサッカー協会の歴史は長い。1921年に設立された。日本サッカー協会の設立と同年である。そして1932年には、オランダ準州の「キュラソー・サッカー協会」として国際サッカー連盟(FIFA)に加盟を果たす。この協会の傘下には、キュラソーの他、後に「オランダ領アンティル」となる他の5つの島も含まれていた。1954年、正式に「オランダ領アンティル・サッカー協会」となり、1961年には北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)発足とともにその一員となった。「オランダ領アンティル」の時代を含め、1921年からの記録はすべて現在のキュラソー協会に引き継がれている。

「オランダ領アンティル」時代は56年間続いたわけだが、その前の「キュラソー」時代からこの国のサッカーは活発に活動し、カリブ海地域の国々との交流を深めた。この時代に最も多く対戦したのはスリナムだった。スリナムは南米大陸の北東角にある国だが、南米サッカー連盟(CONMEBOL)には入れなかった。同じオランダの植民地であることから、交流が盛んだったのだ。

 1952年、キュラソーはフィンランドのヘルシンキで開催されたオリンピックに出場する。この国のサッカー史で、世界大会に出場した過去唯一の記録である。25チームが出場し、ノックアウト式で行われたこの大会、キュラソーは「オランダ領アンティル」の名で出場し2回戦から登場。トルコに1-2で敗れて1試合で大会を去ることになる。

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