■「プロ時代」を渇望した先人たち
1984年12月。日本のサッカーには、まだ「プロ化」の気配もなかった。1968年の「メキシコの栄光」から16年。読売クラブ、日産自動車という「プロ志向」のチームがJSLの優勝を争う時代になり、後から見れば「夜明け」は確実にすぐ先にあったのだが、その直前の漆黒の夜空に包まれた身としては、そんなことを感じることなどできなかった。それは、「黒船」来港前夜の江戸時代のようだった。
だがそんな暗闇の中でも、必ず夜明けが訪れることを信じ、プロ時代の到来を渇望し、それに向かって針の先ほどのチャンスでもつかもうとしていた加茂さんのような人が、日本サッカーの中にいたことを忘れてはならないと思う。そして、その重要な「触媒」のひとりとして、クラウディオ・オスカル・マランゴニというひとりのアルゼンチン選手がいたことも、日本のファンに知っておいてほしいのだ。