■トヨタカップで「国立」の舞台に
1984年のトヨタカップは、「フォークランド(アルゼンチンではマルビナス)戦争(1982年)後の初めての英国とアルゼンチンの試合」として、世界的に大きな注目を集めていた。私はブエノスアイレスでの取材後、ブラジルのポルトアレグレに立ち寄ったのだが、そこで前年のトヨタカップ取材で友人となった地元記者にこの試合についてのコメントを求められるはめに陥る。
「サッカーはサッカー。戦争は関係ない。両クラブとも、サポーターのため、そして自国のファンのために全力を尽くすと語っている」と話すと、翌日の新聞に写真入りで(!)「Jogo Sim, Guerra Nao (試合はイエス、戦争はノー)」という素敵なタイトルの記事になった。
高輪プリンスホテルでの加茂さんとの会談の数日後、12月9日にマランゴニは国立競技場の舞台に立ち、トヨタカップでリバプール(イングランド)を1-0で下し、「クラブ世界一」のタイトルを手中にした。いつもなら他クラブのタイトルになど興味を示さないアルゼンチンのサッカーファンも、この勝利にだけは狂喜したという。
マランゴニは1988年までインデペンディエンテでプレーし、選手生活の最後をボカ・ジュニアーズで送って1990年に36歳で引退した。引退後は監督を務めたこともあったが成功せず、少年チームを育成する組織をつくり、サッカーのプレーだけでなく、ユニフォームを着ることになったクラブのためにすべてを捧げる姿勢を今も説き続けている。