■長崎での試合後「思わぬ場所」で再会
そういえば、メイディン・ビン・シンガーには一つ思い出があります。
昔、日韓定期戦という大会がありました。毎年、両国の代表と大学選抜が対戦する大会で、第1回以来ずっと東京とソウルで交互に行われていましたが、最後の大会となった1991年の第15回大会は長崎(諫早市の県立総合運動公園=V・ファーレン長崎のホームだった「トラスタ」)が舞台でした。Jリーグ開幕を1年半後に控えて盛り上がる日本に冷や水を浴びせかけるつもりか、韓国はベテランも総動員して最強チームを送り込んできて、河錫柱(ハ・ソッチュ)のゴールで勝利します。
その夜は長崎に泊まって、サッカー観戦仲間と長崎の名物料理を食べようと思って、けっこう高級なレストランに行ったのですが(バブル時代の最後ですから……)、そこに現われたのがメイディン・ビン・シンガーでした。日韓戦の主審はラチマナサミィというマレーシア人でしたから、シンガーはたぶん審判アセッサー(審判アセッサーは、試合における審判員のレフェリングを「評価」する人)だったのでしょう。
なにしろ、おなじみの審判ですから、僕たち観戦仲間はすぐに彼に気がついて声をかけたのです。シンガーは非常に気さくな人当たりの良い人で、昔話にもつきあってくれたのでした。