
Jリーグ8月の2試合、FC町田ゼルビア対ガンバ大阪戦とFC東京対京都サンガF.C.戦で笛を吹いたのは、エルサルバドル人レフェリーだった。そして、サッカージャーナリスト後藤健生が思い出したのは、彼が主審を務めた日本サッカー史に残るカタールW杯での勝利のこと。そして、改めて考えたのは「レフェリーの重要性」と「今後の取り組み」だった!
■代表戦で「何度も笛を吹いた」審判
実際、「あ、またあの審判だ」という事例はけっこうあります。
たとえば、1990年代の初め頃、日本代表の重要な試合になるとよく担当していた審判がいました。シリア人のジャマル・アルシャリフです。
たとえば、日本代表が優勝した1992年の広島アジアカップ。
開幕から2戦連続引き分けに終わった日本代表。3戦目のイラン戦も0対0のまま推移し、このまま引き分けに終わればグループリーグ敗退という瀬戸際に追い込まれましたが、85分に「魂を込めた」カズ(三浦知良)のゴールで日本がリード。その後、逆に敗退の危機に直面したイランが猛攻をかけてきましたが、そのイランに3枚のレッドカードを突きつけたのがアルシャリフでした。
もし、この大会でグループリーグ敗退に終わっていたら、Jリーグ開幕を翌年に控え、サッカー人気に水を差されていたかもしれません。その意味で、このイラン戦というのはとても重要な試合でした。
そして、決勝のサウジアラビア戦でもアルシャリフ主審が担当。高木琢也のゴールを守り切った日本が優勝しました。