■早稲田時代は「中盤」でプレーも

後藤「たぶん、そうでしょうね。中学生だった1966年に、スコットランドからスターリング・アルビオンというチームが来て、駒沢陸上競技場で日本代表と試合をしたんだけど、そのときに初めて釜本さんを見ました。ただし、日本代表のプロチームとの初めての試合を見ることが目的だったので、釜本さんのプレー自体を覚えているわけではないんですけどね。釜本さんのプレーの最初の記憶は、早稲田大学が優勝した1967年1月(1966年度)の東洋工業との天皇杯決勝ですね」

大住「あのとき、釜本さんは森孝慈さんと組んで中盤でプレーしていましたよね」

後藤「そう、トップじゃなかったんだよね。2列目に入っていて、前線には1年生の田辺暁男らを置いていたんだよね。当時はそんなに細かいことは分からなかったけど、とにかく釜本さんのところにボールが行くと全部収まるな、すごい人だな、という印象は受けました」

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