■延長戦に抗議で「再試合」に
しかし、天皇杯全日本選手権の「延長戦残酷物語」は、1925(大正14年度)年の第5回大会の準決勝にとどめを刺す。鯉城蹴球団(広島)×御影蹴球団(兵庫)。東京の明治神宮競技場(後の国立競技場)で10月30日に行われた準決勝の第2試合は、1-1の熱戦となったが、日没で延長戦はできず、翌10月31日午前8時キックオフで延長戦を行い、御影が1点を決めて勝負をつけたかに見えた。
しかし鯉城から抗議が出る。御影が、前日の試合で負傷した選手の代わりに登録外の選手を出場させたというのである。延々6時間にもわたる議論の末に出た結論は「再試合」。その午後、試合はノーマルタイムから行われ、90分を終わって2-2。あろうことか、そこでまた日没になってしまったのである。11月1日、再び午前8時キックオフで前日午後の試合の延長戦が行われ、鯉城が1点を決めて翌日の決勝戦にコマを進め、東京帝大を3-0で下して連覇を飾った。
ちなみに、この年の決勝大会の出場は6チーム。鯉城は準決勝が初戦だったが、御影はその前日、11月29日に名古屋蹴球団との1回戦を戦っており、「3日がかりの準決勝」を勝ちきる力は残っていなかった。








