
「もうちょっとだったんですけどね……。でも、今度決めてくれれば、きっともっと一気に行くと思います」
「実力不足ですね。悔しいですけど、ここから」
川崎フロンターレが勝っても負けても、選手やチームへの愛情、叱咤、激励、悔しさを何度も何度も口にしてきたのが石田亮太広報だ。25年における正式な部署名はとても長くなっているが、挨拶の際に言葉にする名乗りは「広報の石田です」なので、石田広報と記す。
広報といっても、業務は幅広い。メディア対応だけでなく、相手チームやコンペティションの会議への出席などもある。ACLEファイナルズのドローがマレーシア・クアラルンプールで行われた際には、0泊3日で現地を訪れた。同行した中西哲生氏のスケジュールに合わせた結果の強行軍で、中西氏からは「1泊したら?」と勧められた中で、「一人で帰すわけにはいかない」と魂を見せてのものだった。
ACLEアウェイにはすべて帯同している。佐藤広報とともに、現地でさまざまな交渉をしつつ、さらにメディアと対話しつつ、クラブ公式SNSなどに流す映像も撮影する。その業務は忙しく、クラブハウスの玄関で1時間観察していれば、その前の廊下を10往復はしているのではないかと思われるほどだ。その間、常に電話や対面での対応に負われているが、それでもいつものように物腰柔らかった。