後藤健生の「蹴球放浪記」第259回「世界の“珍獣”たちとの出会い」の巻(2)レースも盛んな「中東のラクダ」、感心した「上海のパンダ」、落ちてきた「南米のイグアナ」、食べたのはの画像
グアヤキルの公園にいた大きなイグアナ。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中で繰り広げるサッカー取材の道中で、多くの人と出会ってきた。そして、多くの珍獣とも出会ってきた。そのインパクトは世界大会の記憶とともに、蹴球放浪家の脳裏に深く刻まれている。

■初めての中東で「ラクダだ!」

 象や猫のほかにも、世界中のあちこちでいろいろな動物を目にしました。

 1993年のワールドカップ・アジア1次予選で、ハンス・オフト監督の日本代表はアラブ首長国連邦(UAE)やタイと同じグループFに入り、日本(神戸・東京)とUAE(ドバイ・アルアイン)のダブル・セントラル方式で戦いました。

 そのため、僕は4月にUAEを訪れました。僕を含めて、多くの日本人サポーターや日本人ジャーナリストにとっては、これが初めての中東地域経験でした。まだ日本からの直行便はなく、僕はアエロフロート航空を利用してモスクワ経由でドバイまで往復しました。

 当然、郊外に出ればたくさんのラクダがいます。いや、街中にもラクダはのそのそと歩いています。ラクダは荷物の運搬などに使えますし、ラクダ・レースも盛んです。

 なにしろ初めての中東ですから、すべてが珍しく、お祈りの時間になるとあちこちのモスクから聞こえてくるアザーン(お祈りを促す呼びかけ)に耳を傾け、そしてラクダがいると「あ、ラクダだ!」と皆で指さしていたものです。

 同じ1993年秋には最終予選がカタールのドーハで開かれ、その後もワールドカップ予選やアジアカップのために、中東には何十回も行くことになります。すぐに、中東の街並みも砂漠も見慣れたものになってしまい、ラクダが歩いていても誰も気にも留めなくなっていきました。

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