■地名が呼び起こす「移住」プラン
ところで、「ミシオネス」とか「ポサーダス」というのは、僕にとっては昔から聞き慣れた地名でした。
初めてアルゼンチンに行ったのは1978年のワールドカップのときでしたが、このときはブエノスアイレス近郊のキルメス(有名なビール会社がある場所)にある日系人アントニオ太田さんの家に居候していました。太田さんのお父さんである太田一二さんが「日本サッカー狂会」の会員だったのです。
一二さんは戦前はオランダ領東インド(現インドネシア)に移住して、そこでオランダ人女性と結婚。戦争後はいったん日本に引き揚げましたが、今度は南米大陸に渡ったという、すごい経歴の持ち主です。
その太田さんは残念ながらワールドカップを前に亡くなりましたが、太田家には一二さんの奥さんであるオランダ人のおばあさんがいて、アントニオの奥さんはイタリア系。弟の奥さんはポーランド系という実に国際的な家庭でした(家での会話は日本語とスペイン語のバイリンガルです)。
南米大陸に渡った一二さんは、最初はポサーダス近郊で農業をしていたそうで、太田家の人々はよくミシオネスでの思い出話をしていたのです。
ワールドカップが終わって僕が帰る際には、太田家の人たちから「南米に住みたければ、まずミシオネス州に土地を買ってパラグアイ人労働者を雇って農業をすればいい」と助言されて、真剣に移住を考えたこともありました。
ですから、ポサーダスを訪れたのはこのときが初めてでしたが、とても懐かしいような気分になったものです。