■ブラジルの背番号に残る「発展の痕跡」
後に1958年のワールドカップでブラジルが使った「4-2-4システム」は、「ピラミッドからWMへ」という欧州の発展とは、ややルートが違う。これは推測でしかないが、ブラジルでは「ピラミッド」からWMを経ずに「4バック」に発展したように思える。すなわち、2人の「フルバック」の両側に2人の「ハーフバック」が下がって「ウイング」に対する形になり、「センターハーフ」は中盤に残った。そしてフォワードから1人引くことで「4-4-2システム」を形成した…。
この発展の痕跡は、1970年代まで生きていたブラジルの伝統的な背番号の付け方に残っている。両センターバックが「2」と「3」をつけ、右サイドバックは「4」、左サイドバックは「6」、MFは「5」と「8」で、FWラインは右から「7」「9」「10」「11」である。1970年ワールドカップにおけるブラジル代表の先発予定メンバーで確認してほしい。
ちなみに、WM時代以来のイングランドの背番号の振り方は、右フルバック(右サイドバック)が「2」、左フルバック(左サイドバック)が「3」、そのふたりの中央に入るセンターハーフ(3バック時代になっても、この名称が最も一般的だった)が「5」、中盤のサイドハーフが「4」と「6」、インサイドフォワードが「8」と「10」、右ウイングが「7」、左ウイングが「11」、センターフォワードが「9」だった。
1925年のオフサイドルール改正はまさに「革命」だった。そこからWMが生まれ、「4-2-4」が生まれ、さまざまな戦術が開発され、発展していった。オフサイドを残したこと、それを「2人制」にしたことが、今日のサッカーの繁栄につながったのは間違いない。
オフサイドルール自体は、他にもいくつかマイナーな改正があったが、1907年の「オフサイドになるのは相手陣のみ」も、1990年の「並びはOK」の改正も、サッカーをサッカーたらしめた1866年の改正と、サッカーの戦術に大きな影響を与えた1925年の「革命」と比較したら些細なものでしかない。