■日本のワールドカップ「初戦」の会場に…

 収容1万8000人。「バンク」と呼ばれる傾いたトラックのついた自転車競技場。その中にサッカーのピッチがあるという形式だった。それでも当時のフランスでは、最大クラスの最新競技場だった。完成から4年後の1938年には、第3回ワールドカップの1回戦会場のひとつになった。

 ここで行われたワールドカップの試合は、「ハンガリー×オランダ領東インド(現在のインドネシア)」。日本が初めてエントリーしたワールドカップで、アジアからのエントリーは2か国だけ。日本が日中戦争の本格化で予選出場を辞退したため、オランダ領東インドは予選なしで出場権を得たのだ。もし日本が出場していれば、日本にとって記念すべきワールドカップ初戦の会場が、このランスだったことになる。

 第一級のスタジアムを得て、「スタッド・ドゥ・ランス」は力をつけ、1938年には同じ町の「スポルティング・クラブ」と合併、第二次世界大戦後にはフランスのトップリーグである「リーグアン」昇格を果たした。

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