後藤健生の「蹴球放浪記」第232回「ラオスがフランス領だったことで…」の巻(1)東南アジアでは「簡単に手に入らない」ワインを北朝鮮ホームで楽しめた理由と、日本の和尚は「大酒飲み」が多い?の画像
初めて東南アジアに行ったのは、1980年のモスクワ五輪予選のときだった。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界を股にかけてサッカーを取材する。さらに、その取材で世界の酒と食を楽しむ。サッカーも酒食も、重要な文化。掘り下げれば、大事なことが見えてくる。

■北朝鮮「ホームゲーム」はラオス開催

 現在進行中のワールドカップ・アジア最終予選に出場している北朝鮮は、ホームゲームをラオスの首都ビエンチャンで開催しています。

 北朝鮮といえば、2次予選のときに日本とのホームゲームの開催地を巡って二転三転したあげくに不戦敗となりましたし、女子のパリ・オリンピック予選で日本とのホームゲームがサウジアラビアのジッダで開催されたことはご記憶のことでしょう。

 しかし、ラオスとは意外な選択でした。北朝鮮を受け入れてくれる友好国が、ごく限られる中でラオスが選択されたのでしょうが、本国とは気象条件もまったく違う会場で戦うのですから、あの国の代表選手たちはお気の毒としか言えません。

 さて、前回の「蹴球放浪記」では、その国が昔、どこの国の領土(植民地)だったかによって、街並みや文化が違ってくるという話をしました。

 ラオスは第2次世界大戦前はフランス領インドシナの一部でした。現在のベトナム、ラオス、カンボジアのことで、日本では省略して「仏印」とも呼ばれていました(ちなみに、オランダ領東インド(現在のインドネシア)は「蘭印」です)。

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