■現役時代から「チームリーダー」的存在

 日本のサッカーは第2次世界大戦前は大学チームが最強であり、関東と関西の大学リーグが日本のトップリーグだった。戦後になると卒業生たちも勤務先の企業チームでサッカーを続けることが多くなったが、天皇杯では彼らはOBとして大学チームの一員として戦った。

 実業団(企業のチーム)として本格的に強化に乗り出したのが東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)や古河で、実業団チームとして初めて天皇杯決勝に進出したのが1954年の東洋工業(慶應BRBに敗れる)。そして、慶應BRBを破って、実業団チームとして初めて優勝したのが1965年の古河だった。

 実業団の雄としてJSLに参戦した古河は、JSL優勝こそ2回に留まっているが、JSL2部に陥落したことがない唯一のクラブだった。

 古河というチームは、永井良和や奥寺康彦が在籍していた当時に攻撃的サッカーで優勝したこともあったが、どちらかと言えば地味で安定感のある、大人びたチームという印象が強かった。

 選手、監督として古河を強豪に育て上げ、後に日本代表監督、日本サッカー協会専務理事・会長として常に日本サッカーをリードしてきた長沼健をはじめ、日本サッカー界の重鎮を何人も輩出してきたのが古河だった。岡田武史も古河の守備的MFやリベロを務めており、現役時代からチームリーダー的存在だった。

 ちなみに、僕もJSL時代には古河のファンで、高校生時代には手作りの応援旗を持って国立競技場に通ったものだった。

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