■FIFA運営は「イエロー」どころか「レッド」も…

 最初のフェアプレーのマークを考案したのは、ブラッター自身だった。彼はレフェリーが「警告」を出すときに使う「イエローカード」こそ、フェアプレーを求めるものであると考え、黄色いカードに「フェアプレー・プリーズ」というキャッチフレーズを入れたマークをつくり出したのである。

 後に人が左足を上げながらボールを扱うマーク(「F」を形作った)がつくられ、キャッチフレーズも少しずつ変わっていくが、ベースが「黄色」であることは変わらなかった。

 ブラッターは「アベランジェ政権」の陰の最高権力者として実力を蓄え、1998年にはアベランジェの後継者として会長選に打って出て当選する。その会長選挙のどこに「フェアプレー」があったのか、笑ってしまうほどであり、その後のFIFA運営は「イエローカード」どころか「レッドカード」を出されるようなものとなっていった。

「1日に50の新しいアイデアを思いつき、そのうち51がクソだ」―。英国のジャーナリスト、ブライアン・グランビルは、後にブラッターをこうこきおろしたが、「フェアプレー・キャンペーン」だけは評価していいのではないかと、私は思っている。

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