Jリーグで「5万円」、代表選で「時価」、W杯決勝で…【一枚の写真が問いかける観戦の意義「サッカーは誰のものか」チケット代の現在地】(3)の画像
1977年10月、オールド・トラフォード。この1枚の写真に、あなたは何を感じるだろうか ©Kai.Sawabe

 サッカーは日々、発展を続けている。取り巻く環境もまた、変化を続けている。だが、その肥大化は、はたして進化と呼べるものなのか。一枚の写真が投げかける「問い」について、サッカージャーナリスト大住良之が考える。

■ワールドカップ決勝戦「10万円以上」

 1994年のワールドカップ・アメリカ大会で、友人に頼まれて入場券を手配したとき、決勝戦が10万円を超えるものであるのを知って驚いた。特別な席で、特別なサービスがあるのかと思ったが、後で友人に聞くと、屋根もない「照りつけ」のスタンド最上部で、ピッチの選手たちが豆粒のようにしか見えなかったという。他には何もついていなかった。

 サッカーがおかしくなり始めたのは、この頃、1990年代ではなかったか。

 1980年代、サッカー場にフーリガンの嵐が吹き荒れた結果、1996年、イングランドでは立ち見席が禁止され、1992年に始まった「プレミアリーグ」は巨額のテレビ放映権という、それまでのサッカーになかった「大金脈」をつかんだ。「ボスマン判決」により、欧州連合(EU)内の選手の移動が自由になったのも、ちょうどその頃だった。

 プレミアリーグのクラブは世界の投資家にとって大きな投資対象となり、豊富な資金を得たクラブは巨額で世界のスターを買いあさり、「サッカーマーケット」を肥大化させた。それと同時に、スタジアムを整備し、入場券を大幅に値上げし、爪を黒くした若者や労働者たちをスタジアムから締め出した。そして「金脈」は他の欧州主要国でも続々と発掘され、欧州のサッカーは一挙に「金満」となった。

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