■生中継で「スタジアムに人が来なくなる」

 しかし、当時の欧州のプロサッカーは、現在とはまったく違う世界だった。第一に、テレビの生中継がなかった。「生中継するとスタジアムに人が来なくなる」と信じられていたからだ。だから当然、「放映権収入」もなかった。そして、ユニフォーム・スポンサーも解禁されたばかりで、収入も限られていた。クラブの財政は、入場料収入に大きく負っていたのである。その入場料がわずか80ペンス、90ペンスというのは、サッカーが、「若者や労働者たちのスポーツ」であったことを示している。

 ちなみに、1977年の「日本サッカーリーグ(JSL)」の入場料は、「一般・大学生」の前売りで400円。試合当日に窓口で買うと600円だった。JSLには、席による入場料の違いはなかった。もうひとつ、ちなみに、1977年のJSLの1試合平均入場者数は1773人だった。

 1977年10月1日土曜日。イングランド中部のマンチェスターは快晴。西からの強めの風が吹いて、秋の深まりを感じさせていた。

 ビジターのリバプールは欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)で初優勝を飾って「黄金時代」が始まった頃で、名手ケニー・ダルグリッシュを中心に攻守両面で強力な布陣を誇っていた。しかし、若い野心的なタレントを並べたユナイテッドは、後半にルー・マカリとサミー・マキルロイが連続得点し、2-0の勝利をつかむ。入場者は5万5109人。この試合を、若者や労働者たちは1ポンドにも満たない入場料で楽しむことができたのである。

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