「桐畑さんが“いつか届くから”と」
小久保 公式戦に出たのは中学3年生のときが初めてだったので、正直なところ、中学1~2年生のときの練習はキツかったですね。
レイソルというビッククラブからオファーが来たのはすごくうれしかったのですが、いざ入ってみると、周りの選手と実力差がすごくありました。その差を埋められるのかという不安と、試合に出られないというツラさがあって、そんな中で、いつか試合に出られると信じて、練習に打ち込んでいました。
でも、初めての公式戦でPKを止めることができて、しかも、チームが勝った。改めてサッカーの楽しさを感じました。
――当時のレイソルで、誰か影響を受けたコーチ、選手はいますか?
小久保 中学3年生のときに、当時の柏レイソルのトップチームのゴールキーパーだった桐畑和繁さんと練習をする機会があったんです。
シュート練習のときに、自分はなかなかボールに手が届かなかったんですが、そのとき、桐畑さんが“いつか届くから”と声を掛けてくれたんです。それに、“やり続ければボールとの差は縮まってくるから”とも言ってくれました。ベテランの桐畑さんが言った、その言葉がすごく印象に残っていて。
手が届かないと諦めそうなときは、その言葉を思い出して、何回も何回も練習をすれば、1センチ、2センチと少しずつでもボールに近づくことができて、いつかはシュートを止められる日が来ると、そう思えるようになりました。
あのときの桐畑さんの言葉はすごくかっこよかったし、今も、自分の中で大切にしています。
――では、今、振り返ってみて、ジュニア時代にやっていてよかったなと思う練習はありますか?
小久保玲央ブライアン(こくぼ・れお・ぶらいあん) 2001年1月23日生まれ、千葉県出身。193センチ、91キロ。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれ、小学生時代は柏エフォートFCでプレー。柏レイソルU-15、U18で才能を伸ばし、18年、柏レイソルトップチームへ。同年1月開催の「アルカス国際カップ」で大会最優秀GKに選出されたことで世界的に注目され、翌19年1月、ポルトガル1部の強豪SLベンフィカのU-23チームに加入することに。20年8月には、UEFAユースリーグ決勝でレアル・マドリードと対戦。2-3で敗れるも、大会準優勝に貢献した。同年10月、2部SLベンフィカBで初ベンチ入り。22年1月、Bでデビューを果たし、5月にトップチームで初ベンチ入り。日本代表としては、U-15代表候補に選ばれたのを皮切りに、各年代で選出。今年4月のAFC U23アジアカップでは、数々のビッグセーブでパリ五輪出場権、アジア制覇に貢献。7月11日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVへの完全移籍を発表した。