準々決勝進出「いつかは止められる」五輪GK小久保玲央ブライアンが諦めそうなときに思い出す言葉、ビッククラブの意外スカウトと中3の公式戦デビュー【独占インタビュー8】の画像
小久保玲央ブライアンには、大切にしている言葉がある。撮影/渡辺航滋(Sony α-1)

 グループリーグ第3戦を待たずに準々決勝進出を決めるなど、パリ五輪の大舞台で大活躍を続ける大岩ジャパンの守護神、小久保玲央ブライアン。インタビュー第8回は、少年時代のポジションから柏レイソル下部組織からのスカウト、そして雲の上の存在だったトップチームのゴールキーパーからのアドバイスまで、驚天動地のエピソードを交えてご紹介しよう!

 「フォワードに向いていないんじゃないか」

――小学校のときのポジションは、キーパーではなくてフォワードだったそうですね。

小久保 足が速かったので、ドリブルで(DFの)裏にポンっと出して、そこに自分で走るみたいな、スピードを活かすタイプのフォワードでした。すごく楽しくプレーしていたんですが、心のどこかで自分はフォワードに向いていないんじゃないか、という思いもありました。

――いつ、キーパーに転向したんですか?

小久保 小学5年生のときに、柏レイソルの下部組織がキーパーとしてスカウトしてくれたんです。小学4年生のときに、フォワードとして、レイソルジュニアのトライアウトを受けたのですが、落ちてしまって。

――それまで、キーパーとしてプレーしていなかったのですよね? それなのに、どうしてスカウトされたんでしょう?

小久保 自分は今、190㌢以上ありますが、小学生のときは164㌢くらいだったんですね。

 中学生のときもせいぜい後ろから3番目と、ズバ抜けて体が大きいというわけではなかったんですけど、当時のレイソルのトップのキーパーコーチが自分の両親を見ていたそうで、お父さんが190センチで、お母さんが175センチあったので、これだけ両親の体が大きければ、いずれは身長が伸びるはずだと(笑)。
 それで、早くから肉体のポテンシャルを見出して、声をかけたと聞いています。本当にうれしかったです。

――キーパーに転身して、中学時代は、どんなサッカーをしていましたか?

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