後藤健生の「蹴球放浪記」第221回【ソウルで出会った「7つの顔を持つ女」の巻】(1)「忘れられない」18歳のC・ロナウドと「飲ませ上手」なマドンナ留学生の画像
2002年ワールドカップ誘致祈願試合のADカード。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中に知己( 知り合い、知人、親友の意味も)を持つ。その再会もまた、サッカー取材の楽しみのひとつである。しかも再会した人物が、会うたびに変化していくとなれば、また楽しみも増すというものだ。

■ポルトガル英雄、アルゼンチン大統領との「出会い」

 サッカーを追って世界を旅行していると、もちろん、多くのサッカー関係者と出会います。まだ、それほど有名ではなかった18歳のクリスティアーノ・ロナウドとか、後にアルゼンチン共和国大統領になる(当時はボカ・ジュニアーズ会長)マウリシオ・マクリといった人物にインタビューしたのも良き思い出です。

 日本国内でも、長沼健元日本サッカー協会会長(故人)を初め、数多くのサッカー関係者に本当に面白い話をたくさん聞かせていただきました。

 当然ですが、「サッカー関係者ではない人」にも出会います。

 1990年代には、僕は韓国にしょっちゅう行っていました。日本との試合の取材もありましたし、Jリーグ開幕直後には韓国のKリーグを取材したこともありました。

 1990年のKリーグの開幕節を取材に行ったことがあります。済州(チェジュ)市のスタジアムに6チームが集まって、なんと12時から連続で3試合が行われました。前の試合が終わると10分後には次の試合が行われるという。怒涛の開幕節でした。

 日韓両国が激しい競争を繰り広げていた、2002年ワールドカップ招致に関する取材もありました。

 ですから、当時は韓国協会やKリーグ事務局に顔見知りが何人もいて、ソウルに着くと、まずKFA(韓国サッカー協会)ビルの各フロアを回って、「アンニョンハシムニカ、また来ました。よろしく」とあいさつに回ったりしたものです。

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