■海外移籍のパイオニア中田英寿時代の「常識」

 そもそも、日本人選手が数多く海外クラブに移籍するようになったのは、21世紀に入ってからのことだ。

 三浦知良(カズ)は別として、海外移籍のパイオニアとなった中田英寿がセリエAのペルージャに移籍したのは1998年のフランスW杯後のことだった。当時、海外移籍するのはA代表のエース格だった。W杯で活躍してからというのが常識だった。

 だが、2020年代に入ると、多くの若手選手が海外クラブを目指すようになり、高校卒業後、Jリーグでプレーすることなく、直接ヨーロッパに渡る選手も珍しくなくなった。

 パリ・オリンピック代表のメンバー18人のリストを見ても、藤田譲瑠チマ(シントトロイデン)、斉藤光毅(スパルタ)など、海外クラブ所属が6人もいる。そして、招集できなかった選手、招集されなかった選手を含めれば、U-23世代だけでも20人近くがヨーロッパのクラブで活躍しており、FC町田ゼルビア所属となっている平河悠も、7月6日の名古屋グランパス戦を最後に、海外移籍を前提として町田を離れた。

 筆者は、ちょうど60年前の1964年東京オリンピックで、初めてスタジアムでサッカーを観戦した。

 その後も、銅メダルを獲得した1968年のメキシコ大会や初戦でブラジルを破った1996年のアトランタ大会など、オリンピックのサッカーをずっと見てきたが、「最強チームを派遣できない」という現状を目の当たりにすると、「日本のサッカーも、いよいよそういう時代に到達したのか」と深い感慨を覚えざるを得ない。

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